2007年08月22日

黒い十字架






N700




数週間前の東京駅。

短い帰省からの帰り道。
小五の娘がスイカ(JRのプリペイドカード)をなくした。

数分前の僕の言葉。

「ジーンズのお尻が入りにくいなら、
     かばんのポケットに入れときなさい」

そのかばんのポケットに、穴が空いていた。



**



昨夜、娘をしかり飛ばした。

夏休みの宿題を全然進めていないのに
SMAPのテレビを観るといって聞かないのだ。
娘は何度も嘆願し、玉砕し、泣いて、フテた。
そして、部屋にひきこもった。

今朝、寝起きがすっきりしなかったのは、
何となく解決感のなさを引きずっていたからかも知れない。
自分がそんな気持ちの時は、相手もそんなものだ。

「そろそろ起きろよ」

わざと、少し高いトーンで呼びかける。
娘の部屋に足を踏み入れる。
娘が長くなって寝ている。
その横の床には・・
身体は一瞬にして硬くなり、目は床の一点に釘付けになる。
そこにあるのは、黒い十字架だった。
割り箸で作ったらしい。
墨汁の入れものが近くに置いてある。

「おい、なんだこりゃ」

娘がのろのろと身体を起こす。

「・・地獄少女の・・真似。」

「・・それじゃあ、これで呪い殺すのか」

誰を、とは聞かない。

「そこまでじゃないけど・・」

不穏な感じを一時保留し、僕は、保育園用のリュックを背負った息子の手を引いて、玄関を出た。

「ママ(妻のこと)に言った方がいいかな・・」

息子を預けて通勤電車に乗り込んだあと、
僕は窓の外をぼんやり見つめる。
しばらく考えたあと、僕は妻には何も言わないことに決めた。
『これは、結果的に無用の心配をかけることになる』。
そんな風に思えたのは、僕自身の、とある記憶に行きあたったからだ。

そう。僕は、その十字架に見覚えがあった。
とても妙な話だが。



**


滑り台


ちょうど、娘と同じくらいのころ。
その夜、僕と姉は、きょうだい喧嘩をひどく父にしかられた。

中国地方の都市郊外の団地。
僕の家には、まだアルミサッシという近代文明が訪れておらず、
僕たちきょうだいの声は、近所にも大きく響いていたことだろう。
激怒した父は、僕と姉を庭の物置に放り込んだ。
そして、外側からガチャリと鍵をかけた。

「パパ、ひどおねえ?」

暗闇に目が慣れてきたころ、
取り繕うように僕が言う。
狭い。
さっきまで、喧嘩をしていた姉と腕が触れあっている。

「・・そ、そうよな。ここまでせんでもええのに」

姉も同調する。
同胞と化したおバカなきょうだいは、
しばらく、父を共通の敵にして時間をつぶす。
しかし、待てども待てども、父も母も一向に助け船を出す様子はない。

『もしかして、朝までこのまま・・』

そう思うと、物置の仮住居は一気に居心地の悪さを増す。

段ボール箱の角が腰に当たって痛い。
暑くこもった空気がからみつき、全身を汗が伝う。
もし戸の外に誰か知らない人がいたら、なんていう妄想・・

「パパッ! パーパッ!!」

呼んでも返事はない。
何度も、何度も呼ぶ。
物置の壁と、家の壁。
張り上げる声は誰にも届いていない気がする。

僕はいつの間にか、しくしく泣き始めていた。

気がつくと、姉が手に何か持っている。
どこから見つけたのか、それは黒いペンキとハケだった。

「こうしてやる・・」

姉は、段ボール箱にハケを滑らす。
それは、短い呪いの言葉だった。
暗闇に浮かんだ不気味なその言葉は、闇を一段と暗くした。

「お前もやれ」

ハケを姉が差し出す。
僕は、肩をヒクヒクさせながら受け取る。

『こんなことして、いいのかな・・』

どこかでそんなことを思っていたのかも知れない。
でも僕は、ハケを滑らせた。
横にスッ、縦にスッ・・

呪いの言葉の横に僕が書いたのは、黒い十字架だった。



**



『大丈夫。僕もあのあと、悪いことをしたと思ったし』

帰りの電車が家に近づくころ、朝と同じように、
僕はそのことを考えていた。
すると偶然にも、ある暗示的な事実に行きあたった。
それはまるで、黒い十字架が、白い十字架に変わるような、
不思議な連想だった。
そして、僕にとってはとても大切なこと。



チャーチ



それは、数年前。僕がまだ記者だったころ。
とある取材現場で聞いた、偉いシスターの講話だった。


  −−ある小さな男の子の話です。
  その男の子は、とてもおじいちゃんっ子で
  大好きなおじいさんにいつも遊んでもらっていました。

  ある日、男の子は食事の態度のことで、
  おじいちゃんに注意されます。
  男の子が素直に話を聞かなかったことから、
  おじいちゃんはその子をきつくしかりました。
  男の子は、大好きなおじいちゃんから否定されたことがショックで
  つい言ってしまうんですね。

  「もう、おじいちゃんなんか嫌いだ。
   おじいちゃんなんか死んでしまえ」


たくさんの目がシスターに注がれる。
聴衆はみな小学校の教諭。
カトリックの小学校での「生と死の教育」の研修会。


  −−そしたら、しばらくたって、
  おじいさんが本当に死んでしまったんです。
  おじいさんは、以前から重い病気を抱えていたんですね・・。
  ・・すると、その男の子はその日から、人が変わったように
  口をきかなくなってしまいました。

  「僕があんなことを言ったから、
      おじいちゃんが死んでしまった・・」
  「僕がおじいちゃんを殺してしまった・・」

  その子は、おじいちゃんの死、というものに責任を感じて
  誰にも言えないまま
  子どもなりの鬱の状態に・・なってしまったんですね。


教諭たちの、つばをのみ込むような音−−。


  −−小さな子どもというのは、現実と空想の区別が
  付きにくいんですね。
  ですから、みなさん。もしそういう場面があったら、
  きちんと教えてあげてください。

  「おじいさんが死んだのは、病気のせいなんだよ」
  「おじいさんが死んだことと、きみが何か言ったことは、
   全然関係ないんだよ」



**


僕は、思い出す。
黒い十字架を書いたあとの、あの気持ち。

夕暮れまでキャッチボールをしてくれたり
ドライブに連れて行ってくれたり
プラモ作りを手伝ってくれたりした
そのパパを
そのパパの命を、裏切ってしまったような
申しわけなさ。

三十年近くたっても消えない
申しわけなさ。


**





「あれ、どうなったの?」



家に着くといきなり娘がせっついてきた。

「なに?」
「・・スイカ。取ってきてくれた?」
「どうかな・・ジャンッ」

僕は、今日警視庁遺失物センターから引き取ってきたばかりの
スイカと定期入れを、かばんから取り出した。

「・・本当にあったんだ」
「・・」
「・・」
「おい」
「はっ?」
「お前、何か言うことがあるだろう」
「ああ。・・ありがとう」
「・・よし」

やれやれ。

黒い十字架を見つけてから、約十二時間。
この間に僕がどれくらいの心の旅をしたのか、
いや、せざるを得なかったのか
娘は知らない。

『パパは、案外疲れたんだぞ・・
こんな長文になるくらいに(笑)』


いや、娘は娘で、今日一日旅をしていたのかも知れない。
せっかくだから・・
旅をしてくれていれば、うれしい。







紫

posted by 白井麒麟 at 01:42| 東京 ☀| Comment(0) | あしもとの小さな音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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