2008年01月23日

「博士の愛した数式」を読んで




「博士の愛した数式」 小川洋子著



すごい本だった。
感想文を書こうと思ったのだけど、それはとても難しい。
この本を適切に評価する力がない。
ぜひ本を読んでほしい。


それが分かった上で。


今まで僕が読んだ本とは、まったく違う場所にこの本はある。
ジャンルやあらすじの雰囲気でひとくくりにすることは出来ない。
何にも似ていない新しい小説に出会った、
そんな感じを多くの人が受けるのではないだろうか。

記憶に障害のある初老の数学者、家政婦とその息子。
その三人が数学で心を通わせながら、静かな時間を過ごす。
そんな舞台が、形容しがたいほどの美しさや、
尊敬にあふれた結びつきにつながっていく・・。

それを可能にしているのは、全編を通じて横たわる
「人類が有史以来、数の海の中をさまよい、編み出した様々な数式は、
何者にも否定されない絶対の真理、宇宙の法則」
という事実と、その事実に対する深い敬意だ。

実際、文中に登場する数式は、今も、僕が高校の時にも、
多くは百年以上前にも、時代を透過して存在する。

そしてそれは、古い教科書の記憶と結びつき、
僕は旧友と再会したような気分を味わうし、
またその数式との間合いが予想外に近いことから、
手にしている本が「飛び出す絵本」のように感じる。
博士がテーブルに示した一つの数式を前に、
登場人物とともに、自分もまた着席して向き合っているような、
そんな不思議な感覚に包まれるのだ。


博士はその事実にただ感動しつづけ、真理の探究のみに生きる。
そして、”子ども”という存在に最大の愛情を注ぐ。


テストでも、受験でも、お金をかせぐためでもなく
ただただ、自然科学的な真理に近づいていくことの喜び。
本来、ひとが持っているはずの、純粋な発見の喜び。
作中描かれているのは立場や年齢は違うけれど、
まぎれもなくその喜びを分かち合う人々の姿。
そんな風景がどんなに生の希望や浪漫に満ちていることか。
僕はそんなことは完全に忘れていた気がするのだ。


それにしても、芥川賞作家様に失礼ながら
著者の小川洋子さんは、その時々の感情に
なぜこんなに適切な名前を与えることが出来るのだろう。


なんと、機会があって以前言葉を交わさせていただいたことがある。
とても華奢で小さな方だった。
僕の知る小さな女性は、すごい方が多い。



posted by 白井麒麟 at 01:55| 東京 ☀| Comment(2) | 感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

東京奇譚は思いつかない感じだった。





東京奇譚集/村上春樹


を読んだ。


単行本で書店に登場したこの小説は短編集。
世にも奇妙な物語。
いろいろなタイプのそれが書いてある。


長編小説のような重量感はないものの、
ハルキ・テイストは十分味わえる。


特に
「日々移動する腎臓の形をした石」
「品川猿」
の二編がとても気に入った。


どちらも目に見えない探し物の話。
っていうか、五つの物語のうち四つまでが
はっきりと「探し物の話」だ。
作者はやはり”求道者”であると感じる。


漠としたものを探す主人公たちの意識の流れを追ううちに
あっという間に時が過ぎていく。
「これはちょっと思いつかないなぁ」
そんなストーリー。
こっちもそろそろ何か書きたいなぁ・・とか。
嗚呼・・




**



テトリス1.jpg



ところで、このところの僕は、身の周りがちょっと大変だった。

妻が短期入院し、三日ほど家事一切を請け負った。
息子の新しい保育園について、あまり引き継ぎを受けてなかったため
優しくも厳しいベテラン保育士さんに
何度も、こっぴどく怒られるハメとなった。
さらに、娘が「学校を休む」と。
よく事情を聞くとサボリだと見られたので、
学校に行かすために、予定外の怒りのエナジーを使って。


つまり、ヘロヘロ。


そんなわけで、この一週間で唯一の写真。


−写真解説−


寝起きのキッチンに
テトリスのブロック片が
降っていた(笑)




テトリス2.jpg




posted by 白井麒麟 at 23:38| 東京 🌁| Comment(2) | 感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月19日

「遠くの空に消えた」を観て

牛のウンチに爆竹を仕掛けて路上に置く。
通りかかった人に爆発したのが飛び散って顔にかかる。
次々とかかる。
仕掛けた子どもたちは草むらから顔を出しニンマリ笑う。
そのシーンに、三歳の息子まで大笑いする。

大人にはなかなか思いつかない、いや、忘れている発想が
たくさん盛り込まれていて、観る者みんなが子どもに帰れる。



「遠くの空に消えた」



セカチューで有名な行定勲監督の最新作。
空港建設とその反対運動のある片田舎で、
子どもたちの姿を描いている。
少年は言う。
「起こそうぜ、奇跡。俺たちの手で」

家族全員満足の内容だった。



観たあと、一つのことが気になった。
それは父親の描かれ方。

空港建設推進の指導者として現地に入る一人の男。
何故か妻はおらず、唯一の家族である息子に冷酷。

主人公の少年は父親不在の家庭。後半に帰ってはくるが。

担任の先生は、金持ちの父親に政略結婚を無理強いされる。
「あの父のもとに生まれた時から、あきらめてます」

劇中に出てくる父親は、みんなどこか壊れている。
夢のある家庭、やさしい父親を唄った、少し前の映画とのギャップ・・

ただ、それでもみんな「うまくいって」いる。
悲壮感はまったくなく、逆に温かい空気さえ流れている。




この映画について
行定監督のインタビュー記事を読んだことがある。
「ボクと息子は、普段、交流がありません」
確か小学四年と書いていた。



「ただ、この映画を観せたら
『パパの作った映画で一番面白かった』と言ってくれました」



いつもベッタリいることと
関係がうまくいくこと・・
それは必ずしも一緒じゃないのかな、と。
そんなことを思ったのだった。





posted by 白井麒麟 at 22:12| 東京 ☔| Comment(0) | 感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月15日

「道」を観て


昨日の直射日光には敗北した。

家族で訪れた海辺のプール。
工業地帯特有の臭気と突き刺さる日差し。
ものの二時間で根を上げて、家族の顰蹙を買ったのだが、
何とかヒリヒリ肌は避けられたのでよしとしよう。


二時間の間僕はほとんど泳がず、バスタオルを頭からかぶって
本を読んでいた。


岩井俊二氏の「トラッシュバスケットシアター」という・・
映画エッセイ的な本だ。
古い作品の所感がたくさん載っていて、観たこと無い作品が多いが
楽しく読む。
読み進めるうちに、どんどんその映画が観たくなってくる。



というわけで、今日TUTAYAで借りてきたのが表題の映画。




道


「道」
1954年・伊・フェデリコ・フェリーニ監督






一言で言うと面白かった。



原始の人とも言える中年男・ザンパノ。
粗暴さ、意地汚さ、ずるがしこさ・・
こんなにかっこ悪い、人間のむき出しの姿を
最近の映画はちゃんと描いていないような気さえした。
それくらいリアルな人間像。



ジェルソミーナは、純粋な子どものような娘。
二人はほろのついたオート三輪で移動する旅芸人。



この映画は、ジェルソミーナが主人公でありながら、
完全に男目線で描いたストーリーだ。

男から見た、女という存在。

いないと困る感覚。
うざったいこと。
よく分からないこと。
そして
失った時の深い悲しみ。

僕は、誰もがこの課程を一度は経験するのではないかと思う。


淀川長治氏が解説(DVDの特典)で述べていた。

「ここに男と女のオリジナルがあるんですね」


その通りっ、と思った。
髪の毛が真っ白になってもそんな風に話せる氏に感服した。






posted by 白井麒麟 at 23:40| 東京 ☀| Comment(4) | 感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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